しまなみ海道
2012.5.2〜4

5月のゴールデンウィークに、四国の今治と尾道を結ぶ
「しまなみ海道」を自転車で渡りに行きました。
7時50分羽田発の飛行機に間に合わせるため、
早起きしてリムジンバス停のある海浜幕張駅へ
歩いて到着しました。
順調に羽田に到着。
僕たちが乗るLAL1461便松山行きです。
天気予報では、今日明日と雨模様
5日は曇りの予報です。


松山空港に近づいて、やっと雲の切れ目から
瀬戸内海が見えてきました。
松山空港から連絡バスで松山駅に着きました。
今治まで、特急しおかぜに乗って行きます。


隣のホームに止まっている青い電車は予讃線です。
先頭車両にアンパンマンの仲間の
どんぶりマンが付いていました。
  

車窓から眺める瀬戸内海
やはり、雨が降っています。
今治駅から、30分位歩いて
今治城にやって来ました。
雨の中を歩くのはきつかったです。


城の中を見学してみましょう。
藤堂高虎の像がありました。


今治城は慶長9年(1604)9月、
藤堂高虎によって築城されました。
高虎は城作りの名手で、多くの城を手がけています。
どこの城も同じですが、沢山の鎧や刀などが
展示されています。


藤堂家の鎧だったと思います??
この兜の装飾されている
動物はいったいなんでしょう?

3日目のリポートにに答えがあります。


飴買い幽霊図です。

ある寒い夜、飴屋に、白い着物を着た女が音もなく入ってきました。一枚の銭を出して飴を買うとすっと
消えるように帰っていき、次の日も、次の日も同じように飴を買っていきました。
7日目の夜、女の手には一枚も銭がなく、だまっていた女を飴屋はかわいそうに思って、
いつもより多く飴をわたしました。女はうれしそうに、仏さまに供える葉を一枚置いて帰っていきました。
飴屋は気になって女のあとをつけると、寺の近くでふっと消えました。すると新しいお墓の下から
赤ん坊の泣き声が聞こえてきたので墓を掘り起こすと、一週間前に身ごもったまま死んだ若い母親のそばで、
飴を持った赤ん坊が泣いていました。母親の首にかけられていた六文銭(あの世へ通じる三途の川の渡し賃)
がなくなっていて、母親の幽霊が毎晩、赤ん坊に食べさせるために飴を買いに来ていたのでした。
赤ん坊は、そのお寺のおしょうさんによって育てられ、有名なお坊さんとなったそうです。



天守閣から眺めた景色です。このお堀には海水が流れ込んでいます。


今治港です。お城の係の方に教えてもらった
港の近くのうどん屋さんで昼食を取りました。


今治と言えば「タオル」が有名です。
国際ホテルにあるタオルミュージアムに立ち寄り
お土産を購入しました。


今治から、宿泊先でもあり、
レンタルサイクルステーションでもある
「サンライズ糸山」へ予讃線で隣の波止浜駅へ。
波止浜駅は無人駅です。


駅からサンラライズ糸山まで、30分の徒歩
今日は、合計して7〜8kmは歩きました。
毎日5kmのウォーキングしている賜物ですね。
ひと山登りきると、サンライズ糸山に到着しました。
約400台のレンタル自転車が置いてあり
しまなみ海道を自転車でめぐる拠点です。


部屋から見える来島海峡大橋に感激
明日はこの橋を渡るところからサイクリングがスタートします。



夕食は同じ施設内にある「風のレストラン」

ひじきサラダと自家製サングリア
愛媛産魚介のカルパッチョ
元気鶏とたまねぎ 猟師と漁師の和風パスタ
完熟トマトのピザ レストランから眺める景色です。

暗闇に包まれると来島海峡大橋がこんなに美しく映っていました。
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