Essay

目次
戦慄の歯医者 Mパワー 夏休よ永遠あれ
完璧とは結果である 夢を乗せて飛べ サカイメ
不思議な昔物語 マッタクトホホ 干柿絵日記 

戦慄の歯医者

 

20世紀末から歯医者に通う羽目になってしまった。情けないかな前歯を机の角にこっぴ

どくぶっつけてしまい、前歯2番側切歯が使い

物にならなくなったのである。その時の痛さと言ったら尋常でないも

のがあった。目から火が出るとはこのことである。

脳天キリリーッパーで気絶肉薄状態であった。この位の激痛に襲われ

ると、人は必然的にムンクのような顔を継続していないと、痛みに耐

えられないので僕のように容姿で勝負しているような男は最悪である。

本当ならば救急車を要請したい気分であったが、ヒンシュクを買う

恐れもあるので、仕方なく職場から近くの歯医者に予約を入れて出か

けた。

ドアは白く、如何にも「此処は、歯医者で〜す。覚悟して入るべし」

という感じで他人を寄せ付けない、ひやかしお断りという雰囲気が醸し

出されている。診察室に通されて先ずそこで不思議なことに気づいた。

一つは異常なほどに看護婦さんが美人だということである。なぜだ!

こんなに人も寄り付かない恐怖の館に馴染まないではないか。何か後ろ

めたい事情でもあるのであろうか。それともこの歯科の看板娘の役割を

担っているのだろうか。

次に不思議の思えたのが、先生は1人しかいないのに診察の椅子が

3脚並んでいる。(この先何度も通っているが、いつも一番右の椅子

を指定されている)混みあった場合は、いっぺんに患者3人までやる

つもりなのであろうか。そう言えば、同じ風景はよく床屋でも目にす

る事がある。趣旨は同じなんだろうか。

 此処で問題の歯科医であるが、薄い銀縁の胡散臭い眼鏡を掛け、

その奥にある瞳は冷血な輝きをさせた、まるでヘビ男の目をもつ人物で

ある。

彼は僕に大口を開けるように命令し、早速歯を覗き込んだ。

「旦那、ダメだね、諦めな。抜くしかねえな、ブリッジだから一本8万

として3本だから24万ね」

「あのう、保険は利くんですか」

彼は、チッと言うように首を斜め45度に傾けた。

「旦那、利くよ。でもね粗悪だよ、いいのかい。悪いようにはしねえか

らよう任した方が、楽だぜェ、旦那よぅ」

多分そんな言い方ではなかっと思うが、小心者の僕にはそう聞こえたの

である。

「まあいいねぇ、ゆっくり考えな、旦那」

「じゃぁ、削るから麻酔打つよ」

僕は子供の時よく歯医者に通っていた経験があるが、削るだけで麻酔を

使った事などない。彼は、僕の何処を削るつもりなのだ。まさか頭蓋骨

まで穴を空け、脳みそを見学するつもりじゃないだろうか。脳みそが

スカスカなのがばれてしまう。

 

今世紀になっても依然として義歯入らずに、そこに通い詰めている。

しかし、慣れてしまえば何てことない。美人看護婦さんも一寸鼻が

広がっているし、歯科医の彼の目も、よく見ればつぶらな可愛いウサギ

さんのようである。そして何て言ったって保険で治しているのである。

とかく恐怖は、五感を狂わすものである。

 

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Mパワー

この数年で、めっきりと頭髪が心細くなってきた。ある時点を越した段階から

みるみる侵食が盛んになってきたのである。この侵食量と時間を数式で表わ

すとしたら、y=axの一次方程式ではなく、y=axで表わす二次方程式のよ

うである。

これは、自然の摂理の中で起きる事なのだから仕方ないのである。奥さんは

そんなことで絶対に僕の評価を変えるはずがないもんね。と露にも疑わずに

いたのである。が、然もあらん。

「これ以上額が頭部を侵食するようなら、詐欺罪を適応する」

など言って憚らなくなったのである。僕の目も眩むようなショックを想像してもら

いたい。人間を信じられなくなるとは、こういうときに起きるのだと痛感した。

どうやら、彼女は第三者による僕の“ミバ”がどうしても気になるらしい。

これは、本人のためにも一言いってやらなくてはなるまい。

「人間、外見ではないぞ!中身である。ホレ見てみよ、僕の清い純粋な心を、

天使のような優しい心を、ホゥレ、ホゥレ見るが良い」

それを聞いて、三つ指をついて

「わるぅございました。私が馬鹿でございました。これからも虚け者ではありま

すがよろしゅうお願いいたします」

などと言う可能性は微塵もないので言わなかった。

 

先日千葉県民の日のイベントが幕張メッセで開催された。物好きな僕としては

格好の時間つぶしとなったのだが、その中で「頭皮の健康診断コーナー」

というものがあった。

カミサンは僕に相談もせず勝手に申し込んでしまい、仕方なく診断してもらう

事になった。

「ハハ〜ン、抜け毛が心配ですかァ」

担当者は、手持ち胃カメラ型顕微鏡みたいなもので僕の頭をグルグル見て

廻った。更に1本毛を抜いて今度は固定式の、さも「私は科学の目です。見え

ないものはありましぇ〜ん」とでも言いたげな光学顕微鏡で眺めた。そして

「ほほぅ、林さん。誠に健康そのものですよ。キューティクルもいや〜健康

健康!」

と、診断結果を発表してくれた。

ではなんで毛が抜けるんじゃい、納得できんぞ!と言い寄ったのだが彼は顔を

引きつるだけでまっとうに答えてくれなかった。

 

しかし、カミサンはそんなことで諦める筈がなかった。

或る日、薬局から育毛剤を購入してきた。いちじきリアップという育毛剤が流行っ

たが、効き目のある抜け毛と効き目のない抜け毛があるらしい。そこで彼女は

僕の諸症状を念入りに観察した結果「Mパワー」という育毛剤を選出したので

ある。その日から、いつ果てるともない戦いが始まったのである。

夜、風呂に入ってからMパワーを心もとない前頭部から天辺範囲に降り付ける。

そして次はその辺りを奥さんが、呪文をかけるような手つきでムギュムギュ、ム

ギュムギュとマッサージをするのである。そして朝にも同じことをするのである。

そろそろ、Mパワーを使い始めて一ヶ月になろうとしているが、まだ成果が上が

らないようである。

半年経っても成果が上がらない時には僕の事を“シバク”と脅迫めいた事

を言っているのだが、いくらシバかれたところで「芝枯れる」なんちゃっ

て笑って済ませないものだろうか。

 

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夏休よ永遠あれ

8月10日から19日まで夏休みを9日間とった。年間を通してこうした

連休を取れるのは、今回の夏休みと5月のゴールデンウィークと年末年始

の3回である。

欧米のバカンスから見れば屁の突っ張りにもならないようなものである

が、それでも、連休前夜は、もう永遠に休みが続くような幸福のエキス+

アドレナリンが体中を駆け巡って、

「ウッシッシー、ウッキッキー、ムッハッハ―」

と布団の中でほくそえんでいた。

それが、4日5日と過ぎていくうちに、

「うぅぅ後5日、半分が終わってしまった。ゲゲッ後4日後半に入ってし

まった」

しだいに、気が滅入って気分が暗くなっていく。

これは今になって始まったことではない。小学生の頃から変わらないので

ある。特に夏休みの宿題と残りの休みを比較するたび、一段とその症状は

悪化していたのを覚えている。しかし、ラスト3日辺りになると突然心は

悟りを開いたように落ち着くのであった。

「今年の夏は諦めよう。宿題は今更どうにもならないもんね〜。

シカシ、来年こそはキッチリと予定表通りに規律正しい夏休みを過ごす

のダ!そのためにも無謀な計画はたててはいけないって訳だな、よう

くわかった」

と前向きな考え方で毎年自分を納得させていたのであった。

 まあ、これは昔のことであるし今は職場で「休む人はこれをやってきな

さ〜い」

などと宿題は出ないので助かっているが、休みが減るに連れ精神が不安定

になることだけはどうにもこうにも変わらないのである。

そこで今回僕が、あみ出したのが「即効性気分一時的回復法」である。

夜寝る前に「明日から休みが始まるぞ!」ただひたすらに己を騙すので

ある。こんなくだらない事で、回復するのかよぅ、と思われるだろうが

実によく効くのである。

ただし、これは基本的に単純な人間にしか効果は期待できないのかも知れ

ない。

 

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完璧とは結果である

先月のことである。妻がインターネットの画面を見ながら、

「この図録が欲しいから申し込んできてちょうだい」

と僕に頼んできた。5月に神奈川近代文学館で見た『子どもの絵本の世界』

の図録の購入が郵便為替で申し込み出来るらしい。彼女はメモを手渡して、

「為替用紙に記入することは、書いておいたわ。このとおり書いて出してく

れればいいから」

こんなに大げさに書くほどの事もなかろうに簡単なメモで十分なのに、余程

僕が信用できないようである。まあ、そんなことはどうでもよい。昼休みを

利用して近くの郵便局に行くことに決めた。

実のところ僕はこういうところは完壁主義者なのである。彼女はもしかして

記入内容をミスっているかも知れないと思い、確認のためにも職場でネット

を使って神奈川近代文学館のサイトを開いてみた。

おぉ、此処に記入例が示してあるではないか。多分これを彼女は写し取っ

たに違いない。

僕は、絶対に間違えないためにもプリントアウトするもんね。

「ビービービー」これで完璧だ!ワッハッハッハ。もう100%間違いない

もんね。

 

じきに昼休みになった。僕は弁当を食べ終えてそそくさと、郵便局へ向かっ

た。ポケットには例のメモとプリントアウトしたブツが入っていた。

「すいません。郵便為替をお願いします」

「はい、そちらの用紙に記入してください」

僕は、自信に溢れきった顔つきで備え付けのボールペンを握った。

『完璧にする。一字一句間違えない』そのためにはプリントアウトしたもの

を参考にするのが最良の選択である。

ぼくは、一生懸命用紙を記入し続けた。

 

数日後、僕は何時ものように

「たらいまー」

と言いながら帰宅したのである。そこで普段なら

「おかえりなさ〜い」

と来るのが常である。しかしその日は

「ちょっと、この前頼んだ郵便為替の控えまだ持っている」

と、不意をついた。僕はなんともいえぬ嫌な予感がよぎった。

言ったとおり完壁主義の僕は、こういった類のものはいつまでもいつまで

も財布に保存している性格である。

彼女はそれを眺めながら大魔人のように顔がみるみる変わっていったので

ある。

「これ、何を写したの。私が渡したメモあったじゃない」

机の上には、まだビニールからだされていない2冊の本が

「私たちは貴方に注文されたんです。信じてくださ〜い」

と、僕のほうをじっと見つめていた。

控えを見て僕は驚愕した。

あのプリントアウトした記入例が、一字一句間違えなく書き写されていた

のである。

「大岡昇平の世界」といった僕も彼女も一面識もないオジサンの世界を紹介

する本が、それも2冊購入する場合の記入例が丸写しされていたのです。

僕は神奈川近代文学館総務課宛に、僕がどれだけ間抜けでオッチョコチョイ

であるかということ、贈っていただいた「大岡昇平の世界」は僕には難しく

て何も理解が出来ないこと。それで今回に限り勘弁していただき、交換して

欲しいよ〜。と言うことを必死で訴えたメールを送りました。

 

そのおかげで何とか今、「こどもの本の世界展」の図録が手に入り残金

(切手)までが戻ってきているのである。

結果的にみれば、ほぼ完璧であったと言える。世は満足じゃ!

 

 

 


 

 夢を乗せて飛べ

空を飛んでみたい。これは人類が地球上に現れて以来消えることのない憧れ

である。古代ギリシャのサモトケラのニーケやバビロニアの神々はその憧れ

の象徴として羽を持っている。又、フランスのバックビル公爵やオーストリ

アのフランツライヘルト達の人力羽ばたき飛行機は有名である。つい最近で

はリンドバーグの孫がリンドバーグ爺さんと同じ大西洋を飛行したとニュー

スで取り上げられていた。

 要するに、JALやANAや大韓航空やガルーダインドネシア航空等のジェッ

ト機で空を飛ぶのではなく自分の力を存分に使って大空を駆け巡りたい、とう

い壮大なロマンが其処には脈々と息巻いているのである。

 あまり風呂敷を広げすぎても何である。そんな大袈裟な話をするつもりではない。

つい昔の子ども達はそのようなロマン抱くことができたという事である。

 

 当然僕も例外ではない。アオッパナを垂らしアホ丸出しの幼年期には、風呂敷を

首に巻き1秒間に2万回ぐらい羽ばたかせるぞ!くらいの気合を入れてブロック塀

などから飛び降りていた。

 「ウリャ〜〜〜〜。バタバタバタァ〜〜〜〜」

 懲りずに何度も離陸を試みるのだが、ウルトラマン兄弟の末っ子でもない限り、

 ニュートンの法則による自然落下運動、いわゆる重力Gを阻止できるはずがない。

更に若干高学年になって思考回路が複雑になり始め判断能力も備わってくると、

自分で飛ぶ事は諦めようじゃないの、でもその代わりに自分で飛行機を作るんだ

もんね。と大幅な方針転換を図る事となった。

 

 そこで登場するのが「ゴム動力飛行機」である。これは竹ひごの骨組みに障子紙

を更に薄くした紙を貼って作るのである。原動力は名前のとおりゴムを使用する。

基本的に当時ゴム動力飛行機を取り扱っているのは、模型店若しくは気の効いた

駄菓子屋などであった。運良く僕の通っている小学校のすぐ近くに「登戸模型店」

というやたらに威勢のいい、笑うと金歯がズラ〜リ、ゴールどうだぁ!な、おば

さんのやっている店があった。僕たちはそのおばさんの事を「古今亭金馬」と呼ん

でいたなぁ。そのことはこの場面では関係のない事柄なので深入りはしないが、

ともかく僕は小遣いを溜めては通いつめていたのであった。

 何種類かの“ゴム動力飛行機”が並んでいた。「青空号」「ニュースカイ号」

「オリオン号」等といかにも凛々しい名前がつけられ、付加価値的にA級B級C級

競技会用などとランク付けがされているのが、僕の心をナンチュウカ身もだえする

ほどくすぐった。

 ゴム動力飛行機を作り上げるには、熟練を要した。竹ひごを“ニューブカン”

というクダを使って接続していくのである。多分“ニューブカン”の名前の由来は

アルミニューム管だと思う。このクダは、思ったよりも軟弱ですぐに切り口が潰れ

てしまい、竹ひごが通らなくなるのだ。したがって僕はナイフでゴロゴロゴロゴロ

と転がしながら慎重に切断をしていた。骨組みが出来上がると次は翼に薄紙を貼り

付ける。ここからがゴム動力飛行機作成に関する最大の難関に取り掛かるのである。

初心者は必ずといっても良いほど此処で失敗して挫折感を味わう。主翼も尾翼も

力強くパンと紙が張るように仕上がれば良いのだが、少しでも切り取り方が悪かっ

たり、貼る際に歪んだりすればシワシワノパ〜〜である。最悪の場合は継ぎ接ぎ

状態ツギツギノブータロウになってしまう。出来栄えが左右される事は無論、飛行

能力にも支障を生ずるのだ。

 処女飛行も友達に「パンパカパーン」どうじゃ恐れ入ったかぁ!何てお披露目は

出来なくて、誰も居なくなった広っぱにコソッと持ってきて周りをきょろきょろ

伺いながら、シワシワノパ〜若しくはツギツギノプータロウをしおしおと飛ばすし

かないのである。

しかし、僕は殆どこのような失敗はしないで済んだ。というのは近所にアッちゃん

と言う同級生の女の子がいて、そこのおじさんに僕は可愛がられていて、ナントおじ

さんはゴム動力飛行機の達人だったのである。おじさんは上手にその作り方を伝授

してくれた。

先ず、竹ひごの骨組みに飛び飛びに糊を着けそこに大きめに切り取った紙を貼る。

周りを丸めて余った部分を切り取り、十分に糊が乾くまで待つ。そこからが真骨頂

である。口に水を含んで「ブハ〜〜〜」っと吹き付けるのである。要するに今考え

ればどうって事ないのだが当時の僕としては、驚倒とする技であった。と共に

「ウゲ・・ギダナイベェ」でもあった。当然乾いた段階で紙は収縮し、両翼はパン

パンに仕上がった。

 

 初飛行の日、空は抜けるような青色を惜しむことなく広げていた。そよ風は心地

よく緑を揺らしている。

 僕は、お手製のゴム動力飛行機のプロペラを廻した。

「グリグリグリグリグリグリグリグリグリグリグリグリグリグリグリ」

ゴムのこぶが何重にも重なった時、僕は夢に向かって手を離した。

 

 

 

 

 


サカイメ 

世の中には境目というものが存在する。海と陸とか、国境とか、分水嶺とか、要する

にこういったのものがサカイメと呼ばれるのである。

しかし、明確に“ここがサカイメだぁ”というような線引がされているものばかりではなく、

 「こことあそこは違うんだけど、サア一体どこがサカイメ?」

 このように、実に曖昧なサカイメというものも多いのである。関東と関西での味付けなどが、

その例である。静岡県掛川市字ガチャピン三丁目のデコッパチ八百屋から五丁目の

ケムンパス床屋に続く道を境に突然淡口になったり、濃い口になったりしているとは思えない。

そこには、“いつの間にか気づいたら変わっている”と言った混在区域が存在するのである。

 

  そこで、「ここが境界だぁ。きっちり、きっちり引越しのサカイ」系をサカイメタイプ1とし、

「あれ〜、いつの間にか変わっている」系をサカイメタイプ2と区別しよう。

ここからが問題である。テレビを見ていると全国のニュースの後に

「ここからは、○○放送局からお送りいたします」

と、突然ローカルなニュースに変わったりする。また、プロ野球中継でも

「真に残念ですが関東地方の方は9時でお別れです。結果は今日の“プロ野球ニュース”を

ご覧ください。後1分、後30秒、後10秒・・・うへ〜〜サイナラ」

最近は余り聞かなくなったが、以前はこういう無責任な中継が頻繁にあったのである。

では、この放送の切り替え堺はタイプ1又は、タイプ2なのか。僕は非常に怪訝している

のである。 もし、タイプ1であれば、そのサカイメではお隣同士が違うニュースを見ることに

なったり、お隣に行けばプロ野球の続きを見ることが出来たりするのであるから、

そういったことを考えるとやはりお隣とは仲良くしていたほうが絶対に良いのである。

と言う結論にたどり着くのである。

しかし、タイプ2の場合は問題が大きい。

なんて言ったってハッキリしない2つの映像が画面に映るのである。これは見難い。

聞きにくいのW受難である。

静岡県掛川市字ガチャピン三丁目のデコッパチ八百屋の親父がナイターを見ようとテレビを

つけると、関東地方が巨人・横浜で関西地方が阪神・広島を中継して、両方がハッキリしない

画像で映っている。巨人の攻撃バターは松井、そのときに広島はバッター緒方。左右で同時に

打って内野ゴロとホームランだったら一体どっちが打ったのかしばらくは区別がつかないだろう。

結果的にどっちも集中できずに最悪の状況ではないか。

これを突き詰めると、もっと奥深い疑問も生まれてくるのである。新聞のテレビ欄は一体どこで

サカイメを決めているのだろう?考えれば考えるほど、疑問は深まる一方なのである。

 

 

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不思議な昔の物語

まだ、太陽と月の区別がついていなかった、かなり昔の話ですが、その頃にはその他にも

区別のつかないものは沢山ありました。

 海と陸もはっきりとした区別がありませんでした。

陸地といえるところは、いつも雨が降っていて湖のような水たまりはいたるところに出来上がり

海から押し寄せる波の背の高さは、高い椰子の木を10倍したほどの高さでしたので、その波の

寄せる先端は、陸地の端までとどいていたのです。

 いっぽう海と言えるところは、大きな波が運んでくる砂や岩や枯れ木や葉っぱで、海の水が

入り込む隙もないほど埋め尽くされていたのです。

 したがって、魚と陸の動物の区別もはっきりしていませんでした。

秋刀魚が、ときたま木に登って木の実を食べたり、ヤギがしょっちゅう海に潜って貝を食べたり

するのは、一つも不思議ではありませんでした。

 それがどうして、今のように区別がつくようになったかと言うと、人間と言うとても賢い動物が遥か

東の方向からやって来まして、いろいろな事をしたからです。時計を使い、昼と夜を区別しました。

昼に浮かんでいるものを太陽、夜に入れ替わって出てくるもを月と決めました。

海と陸の堺に線を引き、堤防を作りました。波はその堤防を越えることが出来ずに、とうとう諦めて

小さな波しか作らなくなりました。川を作り降った雨は海に流れ込むようにしました。

人間は秋刀魚を捕まえて、焼き魚にして食べる事が好きだったので、秋刀魚は陸に上がる事をやめ

木の実をガリガリかじることの出来た立派な歯は、消えてしまいました。

ヤギは、捕まえて飼うようになり、葉っぱだけを食べさせていたので、メ〜メ〜としか鳴かなく

なってしまったのです。

 こうして、区別のつかなかった世界は終ってしまったのです。

 

 


         マッタクトホホ

この前僕は、千葉の簡易裁判所に出頭した。7年ぶりに道路交通法を犯した罪に問われた

のである。まぁ良くこんなことをネタに出来るわね。というでしょうがもともと「トホホの人生論」

だから仕方ないのである。

9時から11時の間に出頭せよ」と命令書に記載されてあったので、少しでも改心の情を汲み

取ってもらおうと9時ジャストに受付を通ったが、僕の番号は「102番」であった。

 僕よりもメメシイ考えを持つやつが101人いたということだ。ただし、先着10人までは罰金を

 30%引きになったということは最後まで耳にしなかったので、今更急いできても何も特典は

 なかったらしい。

  そういうことで?今日1日僕は

 「102番、第一審査室へ」

 「102番、ここで待ちなさい」

 「102番、水が出っ放しです」

 「102番、トイレのドアを閉めなさい」

このように「102番」と呼ばれた。気分はまるで捕虜か囚人かのようである。

 待合室に入るともう席は満杯状態だ。あらゆる犯罪人の顔をした人々がふてくされた顔をして

 座っている。一番隅にいるやつは、きっと強盗殺人犯だ。いかにも悪党顔をしている。僕の隣りの

 女性は、多分覚せい剤常習者だ。顔色も悪いし、態度が落ち着かない。薬が切れ始めたに違いない。

 壁にもたれ込んでいる若僧はチンピラでおそらく恐喝でもやらかしたのだろう。

 この雰囲気の中に混ざっていると荒んだ気分に陥って知らぬうちに顔つきが悪くなってくる。

 端から見ると僕も痴漢常習犯の形相をしていたかも知れないので、あまり人のことは言えない。

出所したのは昼を大きく廻っていた。シャバの空は突き抜けるほど青かった。空気を思いっきり

吸い込んで帰路についたのである。

どうせなら、全員に手錠をかけて珠数つなぎ状態でおいた方が、手続きが滞らず、呼んでも

来ないやつのために待ち時間が長くならなくて良いかもしれない。今後の事務改善として検討して

みるべきであると、投書してみようかと思っている。

ここで、まだ一度も経験をした事のない方のために当日の手続きを説明いたしましょう。

先ずは書いてあるとおり、受け付けて自分の番号を取ります。最初に警察の取り調べ。

次に検察の取り調べ、そして裁判所で量刑が言い渡されます。ここでいう裁判とは略式裁判で

文句不平などある方を除き罰金謄本とか言うものを受け取るだけです。

因みに、僕の場合は「4万円」でした。ついショックのあまり立ち眩みがしました。

どこかのおじさんは30万円とか40万円とか言っていました。きっと飲酒運転でしょう。事故を起こ

さないだけ良しとしないといけません。

みなさんもルールはちゃんと守るべし。

 

 


          干柿絵日記

ベランダの物干し竿のいっかくに合計20個の柿が吊り下げてある。

ナンらかの儀式、または、おまじないをしているのではない。

知っている方も多いと思うが、干し柿を作っているのである。

今年の11月に愛媛県大洲市へのモニターツアーに参加したとき、お世話になった

農家の方に教わって作ったもので、お土産にいただき、帰って来てから既に1ヶ月近く

こうして吊り下げている。

大きさは初めと比べて半分くらいまで萎れて小さくなり、表面は菅井きんさん

ぐらいシワシワになっている。

「実録,干し柿絵日記」として毎日の様子を観察しておけば良かったと、今更ではあるが

悔やんでいる。

そこで疑問がわいてきた。なぜ渋柿を干し柿にすると甘くなるのか。

調べたところこれは、水分が飛んで甘みが凝縮されると共に、柿タンニンという渋み成分が

長期間に渡り干されることで、他の成分と結合して溶けにくくなり、食べたときに渋みを

感じなくなるという理屈である。


 これまでの吾が人生の中で

「お姉さん、俺に近づくと怪我をするぜ・・・ムフフ、漂う煙草の煙のようにいずれは暗闇に

消えていく男なのさ・・・・ムッフッフ」

なんて僕は渋い男の場面など経験した記憶に無い。もしかするとタンニンが生まれながらに不足して

いるのかしら。如何せんこれからどんどんシオシオになって、ついには干しジーサン化するのである。

その頃には、もともと弱体なタンニンさえも干からびて、いったいどんな人間になっているのだろうか。

そういえば人間ドックの結果「糖尿の再検査」だったなぁ。

今年のお正月に、この干し柿を食べるのが楽しみだ。

 

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