銀座八丁神社巡り
11月1日 銀座の秋のイベントである「銀座八丁神社巡り」にやってきました。 11月3日まで開催されています。 お昼前に東京駅に到着。 |
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新しくオープンした八重洲北食堂にある「日式台湾食堂」で昼食 ここは、正解でした。美味しい! |
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巡る神社は全部で12社もあります。 最初に訪れたのは幸稲荷神社です。銀座1丁目にあります。 |
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うかのみたまの神・すさのおみかみ、の御子神です。 縁結び、商売繁盛、家内安全の御利益があります。 |
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江戸時代の切り絵 ここに幸稲荷神社はありました。 |
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2社目 龍光不動尊 銀座3丁目にある松屋屋上にあります。右の写真は最上階で見つけた、拝礼部屋です。 |
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鎌倉時代の作である龍光不動明王 昭和4年に松屋の念持仏として安置しています。 |
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3社目 朝日稲荷神社 銀座3丁目のお稲荷さんです。 |
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朝日ビル横。 由来によると、古来から当地に鎮座していましたが、安政2年(1855)の大地震で三十間堀に沈んだとあります。 昭和58年のビルの改築にあわせ拝殿が作られました。 |
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4社目 宝珠稲荷神社 江戸時代に弥左衛門町と呼ばれた一画(現・銀座4丁目)の町名由来となった弥左衛門と云う人物によって祀られたお稲荷様 この期間にかぎり、各神社でシールを配ってます。集印帳に貼ります。 |
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板倉重昌の江戸屋敷に家内安全、火除けの神として祀られた今年始まる神社です。 |
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歌舞伎座の裏通りに、「白金や」を通り過ぎ 表に回ると5社目 歌舞伎稲荷神社があります。 |
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第四期歌舞伎座時代(昭和25年・1950年に竣工)から祀られていたと言われています。 大入り祈願、安全祈願のために祀られた神社で、興行の初日や千穐楽には歌舞伎役者や関係者も参拝するそうです。 |
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集印帳、シールを配る方の半被には歌舞伎の顔?? |
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ちょうど、歌舞伎座では「市川團十郎」襲名披露中 |
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一度も歌舞伎を観たことがありません。 多分、この先もないと思います。 |
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6社目 銀座出世地蔵尊 銀座三越の屋上にあります。 |
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三井神社も置かれています。 三井家の守護神のようです。 |
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これが、出世地蔵尊です。 明治時代に三十間堀(現在の銀座4丁目10番地あたり)から掘出されたといわれます。 |
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三越の屋上から見えた景色 和光の時計が三の前に、このあと1時の時報が鳴り響きました。 |
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7社目 銀座5丁目にある「あずま稲荷神社」です。 |
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戦後当地附近で火災が続発したことから、京都伏見稲荷大明神講中をつくり当地に遷座したものです。 |
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8社目 靍護稲荷神社へ向かいます。松坂屋銀座店屋上(現GINZA SIX)に遷座しています。 屋上から眺められたスカイツリー。 |
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靍護稲荷神社に到着 文化12年(1815)根岸に奉安されました。昭和4年に松坂屋銀座店屋上(現GINZA SIX)に遷座しています。 |
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9社目 熊谷稲荷神社です。 数百年にわたりこの地に鎮座して防火、開運、商売繁盛の神として知られています。 |
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すごいお供え物です。 昭和16年の地図にも鳥居の記号で示されています。 |
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現在も銀座7丁目の花椿どおりにあるレストラン「味の中華 羽衣」さんのお隣に鎮座されています。 |
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10社目 豊岩稲荷神社も銀座7丁目にあります。 |
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ビルの谷間の細い路地を奥へと進むと、暗がりの中、灯籠の光に照らされた朱色の社殿が姿を現わしました。 戦国武将・明智光秀の家臣が建てたとの言い伝えが残っています。 |
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徳川時代よりこの地で火防神・縁結神としての信仰を集め、特に歌舞伎役者市村羽左衛門が篤く当社を崇敬したことで知られます。 |
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御朱印をもらうために地下の事務所へ 残念、書き置きでした。 |
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11社目 成功稲荷神社 銀座7丁目の資生堂本社にある神社です。 |
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資生堂が株式会社として発足、その際の初代社長である福原信三が豊川稲荷から勧請したのが始まりで 普段は公開していません。 |
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最後は12社目 宝童稲荷神社です。 |
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これまでにも、2回参拝しています。 このお猿さんが、暗い道を照らしています。 |
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江戸時代初期の創建と見られ 弥左衛門町と呼ばれた当地の名主・弥左衛門と云う人物によって祀られました。 |
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左は、各神社でいただいたものです。 右は、全てにシールを貼り終えた種印帳です。 |
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