深川さくら祭り
2016.4.1
2012年と2014年そして今年と隔年ごとに、深川さくら祭りに来ています。 天気はイマイチですが、桜はほぼ満開 |
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9時前に到着しましたが、すでに10人ぐらいの方が並んでいました。 和舟の準備も進んでいるようです。 |
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受付が始まり、2艘目に乗れそうです。 ライフジャケットを着けていざ乗船 |
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BS朝日放送の「暦を歩く」と言う番組のカメラスタッフが偶然同じ舟に乗ることになりました。 テレビで、皆さんの姿が映るかもしれませんが、問題ありませんか? 全員全く異議なし!映して映して〜と懇願したのですが 実際の放送では編集されて、まったく映っていませんでした。 |
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今日は、気温も低い上に川の上は更に寒い 川に張り出した桜の枝が目の前まで広がっています。 |
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今回乗船した舟の種類は「網船」で漁をしながら舟のうえで天ぷらなどにして食べながら舟遊びを楽しむ舟です。 |
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石川橋を潜ります。 まだ時間が早いので、海洋大学などの模擬店も始まっていませんが、もう少しすると多くの花見客で賑わいます。 |
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巴橋が見えてきました。 戻っていくのは1艘目の舟です。この橋の手前でUターン、橋の下から除いて見える桜が美しい。 |
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私たちの後ろを行く、3艘目の舟とすれ違い。 |
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カヌーで大横川の桜を見ている人も多くいます。 乗り場に戻ってきました。 今年は動力船が乗りませんでした。というのは昼間は運行するのを止めたようです。 夜に運行しているそうです。夜桜は更に綺麗でしょうね。 |
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2年前と同様に東京海洋大学に向かいました。 |
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お目当ては、「明治丸」です。 前回来た時は、大改修中でした。改修工事が完了して船の中まで見学が出来るようになりました。 明治丸とは、明治政府が英国に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船で、 明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍しました。 |
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ガイドさんです。なんと2年前に資料館を案内してもらった方と同じかた。 海洋大学(旧商船大学)のOB 元機関士長 |
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デッキの上です。 右2つの写真は舵です。 中央の写真は左に丸い操舵輪があり、それを回すと箱の中央の鉄の軸に伝わり舵が切られます。 右の写真はロープを左右に結び、船の前方から操作できるようになっているそうです。 |
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デッキを歩いて船の前方に行きます。 碇を巻く装置です。汽車と同じ蒸気機関です。 |
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この円筒みたいなものなんだか分かりますか? これは空気孔です。したがってこの下には、必ず居住空間があります。 |
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左の小屋見たいのは、何でしょう?なんと、トイレなんです。デッキにはこのようなトイレが何箇所か配置されていました。 政府関係者等が使う階段、壁の板材にも高級感があふれています。 |
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階段を下りると広い通路 左の格子状の蓋をあけると、倉庫として使用していた船底につながっています。 |
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復元される前にあった、木製のマストや滑車が展示されています。 |
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船の最先端部分です。 ここは、下級の船員たちの居室となっていて、ベットが何段もあったそうです。 リベットも、そのままむき出しです。 |
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マストのデッキ下部分 |
当時の船名版 | 当時の風見 |
広報に向かうと、天皇が使う御座所がありました。 豪華な造りです。 |
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もっと豪華だったそうですが 戦後進駐軍に没収され、違う用途となっていたため 当時のままには復元できなかったそうです。 |
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ここは、高官の部屋です。 |
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サロンです。 天井にある明り取りも広く、とても明るい部屋です。 椅子の背もたれが、左右に移動できます。その後このアイデアは鉄道の乗車席に採用されています。 |
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サロンの一番後方部分 昔は、船は一番後方に高級な施設を配置していたそうです。 |
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再びデッキへ上って来ました。 右の四角い窓は高官の部屋のものです。ほとんどの窓は丸型です。 ガイドさんの一通りの説明は終了です。約40分間でとても丁寧に説明してもらえます。 |
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デッキから眺める東京湾 木場の木材集積所が見えます。 |
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アカンサス文様です。 日本で言うと唐傘模様?? 格調高い模様で、ギリシャの神殿などに多く使われています。また一万円にもデザインされていますよ。 |
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船乗りポーズ |
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大学のキャンパスにも桜はたくさん咲いていました。 |
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ちょっとだけ、構内を散策 |
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続いて、昼食をとりに月島に向かいます。 途中で相生橋から眺める桜と明治丸 |
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月島のもんじゃ焼き屋さん |
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注文したのは、豚キムチと明太子モチ入り、焼きそば |
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お店の名前は、「満天」です。 この店を選んだのは、店の前で女将さんが「どこの店も材料も味も同じよ」が決め手でした。 |
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