2015.1.2
2015年の七福神めぐりは、2回目となる新宿七福神です。 前回はサイトで紹介していないので、トホホの人生論では初登場です。 飯田橋駅で下車、早稲田通りの神楽坂から始まります。 |
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神楽坂の由来は「 祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからとう説もあります。 ペコちゃん焼、看板でも分かるように日本で、ここだけで販売されています。 |
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ペコちゃん焼を食べながら、坂を上りました。 チョット脇道に入ると、神楽坂を風情を醸し出すような料亭なども見ることが出来ます。 |
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前回も五十番で、肉まん購入しました。 今回も三種類の肉まんゲット、日光金谷ホテルベーカリーではパンも購入 |
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坂を上りきった当たりに、最初の七福神、毘沙門天が祀られている鎮護山善国寺があります。 写真撮影が禁止されていたので、毘沙門天を撮影することは出来ませんでしたが、ひめ小判守が期間限定で売られていたので、買っちゃいました。 |
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神楽坂で見つけた、フグ 大久保通りを左折して間もなく、袖擦坂という小さな坂を発見 帰宅後にタモリの東京の坂の本で探したのですが、載っていませんでした。 |
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この界隈には坂道が多くあります。 この坂は「弁天坂」 立札には「坂名は,坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来。明治後期の「新撰東京名所図会」には, 南蔵院門前に あまざけやおでんを売る屋台が立ち,人通りも多い様子が描かれています。 坂上近くの横寺町47番地には,尾崎紅葉が,明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいました。 門弟 泉鏡花,小栗風葉らが玄関番として住み,のちに弟子たちは 庭続きの箪笥町に家を借り,これを詩星堂または 紅葉塾と称した。」 と書かれていました。 |
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坂の由来にもあったように、この町の名前は「箪笥町」 その先は「細工町」 箪笥とは、家具のタンスではなくて、 幕府の武器を総称して、「箪笥」と呼んだことから、 町奉行支配となった際、町が起立し、牛込御箪笥町となり江戸時代には、 この区域のほとんどは、武家地によって占められており、町名にも武家地であったことに由来するものがみうけられます。 細工町も箪笥町と同様に、居住していた武士(同心)の役職名に由来して命名されたものらしいです。 |
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現代の町奉行 警視庁牛込警察署 |
焼餅坂 本来の名前は赤根坂ですが、江戸時代より明治にかけて この坂の途中に美味しい焼餅を売る店があったので、この名が付けられたらしいです。 |
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善国寺から30分以上歩いて 、大黒天が祀られている、大乗山経王寺に着きました。 お正月の期間大黒天を御開帳しています。 |
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残念ながら、大黒天も撮影禁止 電車を使うなら、牛込柳町駅下車となります。 |
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次に向かう弁財天の厳嶋神社まで、また30分以上歩きますが、途中に色々な物を探しながら 歩いたので、退屈はしませんでした。 左の写真から、東京女子医大、真ん中は洋風建築の公共の施設 、下水道工事のヤード |
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団子坂 名前の由来は、昔は坂の下に団子屋があったからという説と、 急な坂なので雨降りの日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからという説があります。 |
警視庁第8機動隊 | |
表札のついた道路 後で調べたところ、個人の土地で道路として 提供しているそうです。その方の家はありませんが 表札が掛かっているわけです。 |
弁財天交差点にやって来ました。 | 厳嶋神社に到着 |
通称抜け弁天と呼ばれています。 この辺りでは、一番高い場所に当り、昔は富士山も見ることが出来たそうです。 |
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道路を挟んだところに、福禄寿が祭られている大久保山永福寺があります。 |
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左の写真が福禄寿です。 今日はとても寒く、午後0時を回ったというのに、氷が張ったままです。 |
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まねき通りに入るとすぐに春時山法善寺です。 寿老人が祀られています。 また、七面明神像が境内に安置されています。 像高約30cmの木彫立像で、唐風の衣装をまとい宝冠をかぶり、左手に如意宝珠、右手に鍵を持つ。 七面明神とは日蓮宗の守護神の一つであり、七面天女、七面大菩薩ともいうそうです。 |
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新宿七福神の色紙は、全て墨を使ってその場で書いてもらえます。 |
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また、弁財天交差点に戻って 久左衛門坂を左に下って行きます。 |
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途中でまた、面白い建物を見つけました。 一見、壊れているようですが どうも、最初からこういう風にこさえたようです。 |
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七福神には入っていませんが、西向天神社に立ち寄ってみました。 古くから東大久保村の鎮守社であり、かつては大久保天満宮と呼ばれていました。 |
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新宿小学校です。素晴らしく豪華な建物です。 玄関と言うか、ロービーは3階部分まで吹き抜け |
霞関山太宗寺に到着 布袋尊が祀られています。 写真は銅造地蔵菩薩坐像です。 正徳2年に造られた、江戸六地蔵の第三番。 |
太宗寺は内藤新宿にあります。 写真の説明が小さいですが、頑張って読んでください。 |
これは、恐ろしい! 閻魔堂でたたずむ、閻魔大王と、葬頭河の婆さん 閻魔大王は都内一番の大きさを誇っています。 |
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こちらが本日の主役、布袋尊です。 |
塩かけ地蔵 | |
不動堂にお参りする唐辛子 |
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内藤正勝のお墓があります。 説明は下を読んでください。 |
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太宗寺から30分歩いて、やっと最後の稲荷鬼王神社に着きました。 歩き始めてから約3時間かかっています。 |
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大黒天は写真不可のため、ご覧いただけませんが、 鬼王神社の水鉢頼んで見せていただきました。 邪鬼の頭上に手水鉢をのせた珍しい水鉢は、文政年間毎夜水を浴びる音がするので 持主が刀で切りつけたところ、その後家人に災難が相次いだため、天保4年に鬼王神社に奉納されたということです。 邪鬼の背中に刀傷があります。 |
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水琴鈴があったので、水をかけてみましたが、聞こえません そうか!この竹筒に耳を当てるのね。 |
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新宿駅に向かう途中で見つけたビックリ建物! 非常階段?? 最上階から地上まで梯子が作られています。 ゾクゾク・・・・ |
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すっかり、お腹が空いてしまいました。 遅い昼食 ちょっと贅沢して銀座アスターで遅い昼食を取りました。 |
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右の写真は本日のお土産 下は色紙です。 |
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