お江戸日本橋 舟めぐり
2012.3.28

桜の季節ということで、「お江戸日本橋舟めぐり 特別便」に予約して
花見を計画しました。ただし、今年はいつまでも寒くて桜はまだ蕾ですかが・・

日本橋の袂に出来た「日本橋船着場」に集合
映画「麒麟の翼」で脚光を浴びた麒麟です。


この船着場は、震災時に道路交通網は麻痺する可能性があるため
東京をめぐっている川や運河を利用した輸送路整備の一環で設置されたものです。


この日申し込んだのは僕たちを含めて10名


この可愛いボートに乗ってめぐります。


青いはっぴの方が船長さん
ちょっと、俳優の原田芳雄さんに
似ていると思いました。


安全のために救命具を装着します。
本日のコースです。
約1時間半のコースです。


さあ、出航、日本橋川の上は高速道路
最初にくぐる橋は「江戸橋」です。
コースは全部で水門を入れて30の橋をくぐります。


もう一艘の大きなボートに追い抜かれました。


茅場町付近
「日本橋水門」です。只今工事中
帰りはこの水門の向こう側から
日本橋川に戻ってくる予定です。


湊橋です。江戸時代の前期、延宝7年(1679) に架けられたといわれています。


「豊海橋」です。橋が架けられたのは
江戸時代の中期、橋名からも想像がつくように、
江戸時代には海からも近い場所でした。
現在の橋は、昭和 2年(1927) に震災復興橋
として改架されたもので、梯子(はしご) を
横倒しにしたような外観をもった
「フィレンディール橋」 と呼ばれる、
全国でも珍しい構造・デザインの橋となっています。
隅田川に出ました。
川幅がいきなり広くなり、波も高くなりました。
永代橋が見えます。


隅田川を横断すると「ゆりかもめ」を発見!
大島川水門をくぐり、大横川に入りました。


穏やかな水面です。「越中島連絡橋」です。
これからくぐる橋は、海面からの高さが低いため
ぎりぎりのところばかりです。
大横川の支川です。
お茶屋さんの屋形船が多く係留されています。


本当なら、門前仲町のこの辺りが、桜が満開なのです。
若干、蕾がピンクになっていますが、この状態。


「越中島橋」
江戸時代、旗本榊原越中守照清の
屋敷があったことで「越中島」の名前が
付いたそうですが、余りにも水が引かず
いつも水浸しになるので、幕府に土地を
返還したといわれています。
「江東区黒船橋のりば」です。


お花見の時期に限り、普段は木場にある
和船をもて来て、乗せてくれるそうです。
桜が満開になる頃は、
とても混んでいるんでしょうね。
「黒船橋」
深川さくらまつりが行われていました。


あ!桜が咲いてた。


ボートは巴橋をくぐります。
海鵜を発見


「平久橋」です。


ここで、船長さんが桜が全くないのでは
申し訳ないと、コースを少し変更して
特別な場所に向かいました。


塩浜橋を過ぎると・・・
左岸には、コブシの花


右岸には見事に咲き誇った桜の木々が
多分、河津桜かも?
船長さんは、良く知っていますね。


ボートを見つけて、多くの方が手を振っていました。
「白妙橋」です。


相生橋です。
「佃島」、「石川島」、「月島」 地区にとって
大切な橋です。
相生橋の袂にある「中ノ島公園」


木場「貯木場」の跡です。


中央大橋
パリ市長から東京都に友好の印として贈られた「メッセンジャー」と名づけられた彫像です。


東京と千葉をつなぐ永代橋とスカイツリー


船長の向こう岸にある変わった形の物体ですが
これは、東京湾の潮位を測るための
霊巌島の潮位観測所です。
今は、埋め立てで東京湾が更に沖になってしまい
他の計測所のものを使っているそうです。


亀島川水門をとおり、亀島川に入ります。


僕の後ろで電話いている女性はガイドさんです。
とても、詳しく説明してくれて、
質問にもみんな答えてくれます。
亀島川には、河岸があります。
船でいろいろなもの運搬した名残でしょうか。
ゆりかもめが日向ぼっこ中


霊岸橋です。
江戸時代の後半には 『霊岸橋』 の
名称がでてきているそうです。
日本橋水門に出ました。
スタートした直後に帰りは水門をくぐらず
まっすぐ、日本橋川を進んでいきました。


日本橋川に戻ってきました。


高速道路の裏側です。
波状の格子がありますが
これがあるのは、日本橋の上だけです。


川から見上げた「麒麟像」
日本橋の裏側です。
他の橋とは違い、デザイン性を考慮してあります。


「AH1」
これは、「アジアハイウェイ1号線」のこと。
AH1は日本を起点として、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、
カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、バングラデシュ、
パキスタン、アフガニスタン、イランを経て、
トルコ(とブルガリアの国境)が終点

日本橋は元々五街道の起点です。
アジアハイウェイの起点にもなっていました。
ハイ、お疲れ様でした。
少し風も強かったけれど
楽しい舟めぐりでした。


映画では、ここで中井貴一が倒れました。
「にほんばし」
徳川慶喜の揮毫によるものです。

橋の上から見るボートです。


昼食は、少し歩いて「たいめいけん」です。
僕が注文したのは「紙カツカレー大盛」
 唐辛子が注文したのは、
「しば海老のオムライス・ピリ辛トマトソース」


歩いて銀座に向かう途中に見つけた京橋の親柱です。
今は河も橋もありませんが、江戸時代には
日本橋から京へ向かう時、最初に渡る橋でした。
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