2011年11月24日に、バスツアーの「箱根旧街道」に参加してきました。
箱根旧街道は、小田原箱根口から芦ノ湖畔までの上り四里八丁、三島までの下り三里二十八丁をあわせ 「箱根八里」といい、東海道の中でも箱根越は苦難の道でした。 旧東海道に残る古道の石畳は、現在畑宿から湖畔まで往時の石畳が保存整備されています。 途中休憩した小田原箱根自動車道のサービスエリア 左のバスが、利用したバスです。 |
|
素晴らしい好天に恵まれ、富士山もくっきり、すっきり! |
|
スタート前には、柔軟体操で足腰を慣らします。 |
本日のスタート地点は、畑宿からです。 畑宿は、箱根を代表する伝統工芸・寄木細工で栄え、 現在も工房が多く集まり、「畑宿寄木会館」があります。 ゴールの芦ノ湖までは約5km |
一里とは約4km、日本橋から23番目となります。 平成10年に行なわれた保存整備事業で、高さ4.5m、 直径9mの周囲に石積みがあることも判明したそうです。 現物は見つけることが出来ませんでした。 |
石畳で、街道は整備されています。 しかし、なかなか歩きにくい。 さらに、苔があり予想以上に滑ります。 |
途中には、石畳の構造などの解説をした立て札など整備されていました。 |
|
すぐに七曲坂にやってきました。 県道の歩道をくねくねと登ります。 |
「けわしきこと、道中一番の難所なり」 と書かれた看板が立っています。 「橿の木坂」と言って、東海道中最大の難所です |
|
じゃぁ、登りましょうか。 |
僕も登りますが、やはり「怪我する男」は 2週間前にランニング中に左足のヒラメ筋 (後で整形外科に行って判明)の故障により 安静を言い渡されている。 |
本番に弱い男のりPに対して 本番に強い唐辛子は快調! |
甘酒橋と言う橋を渡りました。 |
紅葉は残念ながらほとんど終わっていましたが こんなに色づいている紅葉もあります。 |
猿滑坂は、サルでも簡単には登れない。 という由来であると、立て札に解説有り |
|
これが猿滑坂です。 今はちゃんと階段が整備されていますが 江戸時代には、無かったのかも? |
登りきり、また県道に出ました。 |
追い込み坂です。 もともとは、「ふっこみ坂」と呼ばれていた のかもしれないそうです。ゆるい坂道です。 |
親鸞上人がどうしたこうした と書かれていましたが 覚えていません。 次にいった方はゆっくり読んでください。 |
「甘酒茶屋」に到着。 これは、その当時馬をつないでいた柱です。 |
江戸時代から350年も続いている茶屋です。 江戸時代には沢山の茶屋があったそうですが 今はこの1軒しかありません。 |
唐辛子が茶屋に入ろうとしているところ。 | 隣にある無料休憩所で、昼食をとりました。 建物は、当時のものを再現してあります。 ちょっと薄暗いけれど 昔の人はこのぐらいの明かりの中で 暮らしていたのですね。 |
「箱根旧街道資料館」 茶屋と無料休憩所の隣に建てられています。 入館無料です。 当時の茶屋の様子や江戸時代の武士から庶民の旅の姿を偲ぶことが出来ます。 |
|
さて、再出発です。 目指すは元箱根 |
|
足元の石畳を写してみました。 |
於玉坂を過ぎ、白水坂、権現坂と進みます。 |
芦ノ湖が見えてきました。 |
|
芦ノ湖と富士山 そして箱根神社の鳥居 後半は風が強くなり、芦ノ湖にも 白波が立っています。 |
この場所は、10月にランニングクラブで 箱根合宿にいった際に反対側から 同じ歩道橋の下を走っている 僕を撮影したポイントです。 |
元箱根の杉並木にも一里塚があります。 24番目の塚となります。 |
最終コース杉並木を歩いて行きましょう。 |
この杉並木は元和4年(1618)に 川越藩主松平正綱によって 箱根宿を設けた時に植えられてと 伝えられています。 夏の日差しを避けるのにも必要だったのかも しれません。 |
これで、今回の畑宿から元箱根の 旧街道散策コースは完歩です。 |
時間があったので、少し足を伸ばして 箱根の関所を見学しました。 ずいぶんリニューアルされていました。 |
ランニングクラブ合宿の時にも記念撮影した 箱根駅伝のゴール地点 |
ここも、合宿の時に撮影している 駅伝記念館 |
これは、お初です。 駅伝記念の碑です。 同じポーズのつもりが右腕の位置が違ってしまった。 |
ちょうど海賊船が出航するところでした。 |
宮ノ下富士屋ホテルの出店が パンを売っていたので、お土産に買いました。 |
ホームへ |